思い その19

子どもはテスターとして数多くの人を見てきているので、子どもと話している時「私ASDの色として濃いグレーくらいかな」と聞いてみました。

私がASDな婆さんとして書いているけど、私の自己評価は色にしたら濃いグレー位に思っていましたが、子どもには「真っ黒ですねっ!」て言われてしまいました。ドキッとしたけどこんなに腑分けしてきっぱり言ってもらえてああやっぱりねと思ったのです。道理で付き合いが下手くそなんだなって納得したし、交流する相手も考慮しないと失敗するなって今更考えています。

これまでの歩みのジグザク、漂い、危ういです。手探りで学び続けてきたものが助けになってきましたが、このような状況ならはたから見て非常識と思われようと、黒い私を色々裁こうと許してもらうしかないですね。こんな思いから最近出された改訂版のハッペの『自閉症』を読んでみました。

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長年に亘り、それこそ自分が生涯付き合ってきたASDをもう一度感じ直してみたのです。4年位前まで私には同居の夫や家族がいたので、個人としての意識が強く持てなかったのです。一人になってみてASDであった自分を俯瞰し直したのです。

ハッペはイギリスの社会での発達障害を中心に書いている訳ですが、私は日本のいち発達障害者家族の只中で無自覚の当事者として育ち、暮らしていたわけです。それに周囲に何組かのそれと思われる家族に何らかの関わりを持ったわけです。そして、60年来の稚拙な学びの中で漸く少しずつ右往左往してここまでたどり着いたわけです。子どもが表現するには修行のようだったと。

ことに顕著な現われ方をした子を二人育てたことや、孫たちをケアし感じさせられたようです。それによって私の個人としての心理学ははっきりしてきましたし、自分の傾向も解る方向にむいています。

しかし、子どもが言うには何だかある意味ではレアな年寄りのようです。だから行き場がない、交流の場がないことです。日本において、年行った当事者の工夫を語り合えることができる場があればと感じたりしています。

 

思い その18

先週、柚木麻子著『らんたん』(小学館)を読んでみました。歴史小説で河合道の生涯にまつわる物語でした。明治以来の名だたる女性たちがやわらかに描かれていて読んで私自身、ほっとしました。そして大成した女性の社会進出とその繋がり、立ち位置など知ることが出来、興味深かったです。 

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その後に鈴木涼美著『浮き身』(新潮社)を読んでみました。

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以前、彼女と上野千鶴子氏との往復書簡『限界から始まる』(幻冬舎)を読んで昏迷状態に陥り、これもありなんですと自分に向かって呟いたことを思い出して挑戦してみたのです。

鈴木涼美の青春時代の一部分が切り取られているのでしょうが、女が生きるということがここまで多様化しているようだと考察することになりました。

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思い その17

読書は習慣になっていて乱読で週2冊ぐらい読んでいます。

しかし一人で暮らしていると感激したり、驚いたりしても率直に話すことができないでいます。娘夫婦が毎週土曜日の夜来るので貯めておいた話題をうるさがられてもお喋りするのです。

6月末はマクシム・レオ著『東ドイツある家族の物語ー激動のドイツを生きた四代ファミリーヒストリー』(アルファベータブックス)を読みました。この本はノンフィクションで社会主義体制の中で各々がどの様に個人として生活したかが描かれています。

体制の変化に伴う若い世代の様子もですが、それぞれの時代や支配体制が話題になりました。

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今週はちらっとしか話せなかったのですが、話題にしたのは木庭顕著『憲法9条へのカタバシス』(みすず書房)です。明治時代からの日本人の内面をえぐった感じを受けました。法学者が書いておられるのですが鷗外、漱石、太宰、等文学に現れる複雑な日本的なものが露わにされていて面白かったよと話したのです。この先世相はどうなるのでしょうか。どの様に自分として思考を保つのか固められないです。

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6月にǸHK100分de名著で紹介された「ショック・ドクトリン」も話題になりました。時代を見極める鋭さを養い学びを継続しなければと感じました。格差と民営化の問題の繋がりはそれこそショックでした。

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思い その16

老いたせいでしょうか、過ぎ越してきたことを反省したり、思ったりすることが日々あります。成人した頃から65年程の時間に変化した様々な思想の流れの中で生きてきた自分をながめています。

流れの中に流されていたのにその流れの様相を確かめる能力も余裕ものないままでした。能力と判断力が少ないのが主でしょう。今一人住まいの個人となってみて少しずつ自分が生きた戦後史の一部分を知ろうとしております。

それ程多くはありませんが、深くそして緻密に生きている人々の著書の中や日常の出会に遭遇する人々とに大いに感激してしまうのです。自分が果たせない多くの意味を持った表現や自己開示や生き方そのものにです。

自分もかってほんの短い間でしたが、美術と心理療法に心惹かれ学んだことがあるので、拘って複雑なメッセージや感覚を込める作者に、ここまで表現してしまえることに驚くのです。

今年の展覧会で観たエゴン・シーレ展や諏訪敦展、それから2021年に出た往復書簡『限界から始まる』(上野千鶴子鈴木涼美著 幻冬舎)と2022年に出た『性と芸術』(会田誠 幻冬舎)の著書等にです。私が観て、読んだ位ですから多くの方が目にされたと思うのです。

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特に2冊の本は方向性が異なるのですが、確かに今を生きる一人の表現者にあるリアルな事柄だと思えたのです。多様性を持つ一つの在り方として凄いと考えたのです。しかし片方で本来持つ個人の感覚や感性を追求することを大切にすることの範囲や意味を確かめている自分がいます。

歳を重ね衰えていても一個人として在る事、変化の流れの中に在り続けて流れの勢いに揉まれているのを、間接的にですが感じております。

読書仲間 『Ⅰさん』その2

Iさんが退院してらして二か月、食欲も大分戻られたようです。Ⅰさんに対してはお一人でよく生活されているなあと感心してしまうのです。人それぞれの立場の違い、そこから生まれてくる強さですね。

電話で食事のレシピなど話しているうちに、これからの生活の備えの話になりました。Iさんは具体的に寝たきりになった自分への備えの筋道が描けないし考える気力も弱って焦っているも、今を仕切るのに一人だと大変だとのことでした。それではと思って、春日キスヨ著『百まで生きる覚悟』を送ったのです。

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何度かのおしゃべりに「終章に具体的な老いの身じまいが提示されていて大変役立ちました。参考にしてピックアップして自分が必要に迫られていて、それもありだなって、できるものから」といった軽い話でしたが、私の方がホッとした感があります。少しは考えるヒントになったようです。

前はガラケーだったので、先ずはスマホを買われたのでメールのやり取りがスムースなり、買い物が確保されたようです。現在通院で抗がん剤治療を始められたそうなので、抗がん剤治療を終えたら地域包括支援センターが近くにあるので行ってみるとのことでした。

抗がん剤の治療経過を待って会いにいきたいです。お会いして、10年くらいのお互いの変化など、時間と共にあったものを感じてみたいです。

思い その15

考えてもいなかったようなことが年とともに起こります。私はナッツ類や煎餅など乾きものをおやつに食べるのですが、それによって前歯を痛めて根本からぽっきり折ってしまったのです。痛んで後始末が大変でした。

歯の質まで変化していることを考えに入れず、つい無茶な生活になっておりました。すべての生活能力が変化していることを想定しなければいけない時期にあるのです。自覚不足と感じたところです。予想外の痛みと手間と出費に煩わしされました。

体全体からしたらほんの一部なはずなのに、一本の前歯の損失でこのありさまでは自分でも軟弱だなと感じました。動物としての二面性、弱さを感じないわけにはいきませんでした。

医療関係者との関わりの中で急いで加療法を選んで自己決定をする強さと後押しする後見人を要求されたことでした。行動を2重に確かめられる、最早個人として力のない自分がいるという事です。これから先、後期高齢者として自分が穏やかな心持ちでいるためにどのような心得、わきまえが必要か混沌としてしまいましたが一層心中を整理して進むしかありません。加療と医療制度が専門化されてきていることへの理解力も少しはもたなければと思ったことでした。

自分が何に支えられているか考え込んでしまいました。後見してくれる娘の存在にも大いに感謝です。

思い  その14

梯久美子著『この父ありて 娘たちの歳月』は同性として印象深い九人の中のお一人、萩原葉子さんの『蕁麻(いらくさ)の家』(講談社文芸文庫)を読んでみました。

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あれまで深くご自分を詳細にお書きになったことへの勇気と、真実から生まれた人の心を動かすエネルギーに圧倒されました。一人一人の人間が一人の人間として成熟していくための要件をここでも突き付けられました。生活苦を超えて、ご自分を開示なさって確かめられその上に築かれた表現力、ただただ敬意を感じるのみです。自分の生い立ちを厳しく確認する辛さを想像しております。

でも、自分がする確認の仕方は自己弁護だらけで自分に対して甘いものになっております。自分を冷静に確かめる行為は限りなく困難になっています。老いと共にです。怠惰を諌められると共に心を揺さぶられ、読後の冷静さを取り戻すのに時間がかかりそうです。

そして誰しもが肉親から引き受けるものの多さに今更驚いています。自分は若い頃親族に父親に似ているところがあると言われたことがありました。父は50代にクモ膜下出血を患い気力が大分低下したまま83歳で亡くなりました。今、私はその年を超えました。元気な時の彼の尊敬すべき面、男としての弱い鈍感で人を余り疑わないとこなど思い出します。ことにかれの人間としての弱みを嫌っている自分がおります。

また、母に対しては同性でもあるので解っていると思っておりました。でも終末期10年程一緒に暮らしたのでその常識では謀り知れないところがあるのが身に沁みました。自分がその一番の末裔であることを咀嚼しています。

両親から本質的に引き継いでいる物、状況からの逃れられ得なかった、マイナス、またはプラスを今この自分に感じています。