思い 33

以前に親しくなってお茶をする会でのことなのですが、まあ話してもいいかしらと思って、自分も家族も偏りが強くて困ってると話しをしたのです。そうしたら次回から、どうも空気が違ってしまったのです。あまり話しかけてこない、相手にしないって感じですね。まあ自己開示は非常に難しいですね。私の方がかなり場に合わなかった訳です。うまくいかないので足は遠のいてしまいました。
でもその中でお2人だけ個人的にあちらから交流してくる方がおられますので、無理なく交流していきたいと願っています。それと電車で行く読書会がいつまで続けられるかです。


あと今までのお付き合いと介護してもらう側として相手とのすり合わせをどの様に穏やかにするかが課題です。そんな時読んでおこうとしたのが下記の本です。
発達障害者は(擬態)する。抑圧と生存戦略のカモフラージュ 横道 誠著 明石書店を読んでみました。自分の資質が浮かびます。 

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昔20代に読みこんだホルネイの「自己分析」を思い出しました。今までになく直接に私を映す鏡が随所にあり参ってしまいました。

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明確かつ具体的にASDADHD、算数LDなのだと自覚しました。算数が苦手なこと、固有名詞などの記憶が悪いこと、左右が不明瞭になること、肌着や着心地に拘ることなどです。興味が湧くと凝り拘ることもありますし、それに3章の向坂くじらさんのように、

たくさんの人によって構築されている関係に興味が湧かなくて。嫌いでないわけでもないけど、うまく認知できないというか。飲み会なんかでも、二、三人の気に入った人と話すほうが情報の密度が高いし心地よいと感じます。興味がない人と話すのは時間の浪費と感じられてしまいます。(p.62)

というのは、このようなところところ自分にもあります。
152ページ(8章)は慰めとなり、ほっとしました。 
今回この本の中の3章に出てくるくじらさんの他に、3人のかたにも自分が似ている部分があるようです。                     
それと自分の場合は両親の生活がかなり偏りが激しく社会化の手本や大人の見本にはならなかったことや、保護されていなかったことなどありうることとして、遠のいてみえました。
本については高校生の時は聖書を、20代で精神分析学に興味を持った訳です。中学生から始まった読書は途中、絵画に凝った時期以外続いてきて本から離れることはできません。かなり彷徨ってますが不思議にその時に自分に合った本を読むことが出来てよかったと感じています。
結婚後30代では言葉の出ない次女の療育をするために医学書を漁ったりしましたし、相談にも行きました。飛び飛びでしたが50代ごろからは心理学の症例を読んだり、家族療法のワークショップにいったり自分なりですがしました。とにかく親の役割を果たすことに熱中していました。役割にとらわれて本来の自分の影が薄かった感じです。 
あと困ったことですが、欲も徳なく自分の価値観に従いたくなることがあるのですが、自分でセーブしていますね。孫2人ともに手を貸したいとろですが離れています。
今回読んでみて身にこたえる内容でした。しかし良い出会いでした。よくぞ開示して下さったという思いと努力と工夫に感じ入り、こうした能力のある若い世代にエールを送りたいです。