アーミッシュの老いと終焉 (堤 純子:著)を読んで

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プロテスタントの人々の生活は以前から、興味がありました。かって、自分も10代後半にプロテスタントのミッションスクールで様々の作業をで学んだ事がありました。今もこの時の価値観は少なからず残っているように思います。このところ周囲の方を理解する手段について考えさせられておりました。人それぞれに繋がるものとしてです。この著書の中で驚いたことが2つありました。 

1つはアーミシュの週刊新聞による個人の困難時の情報の公開でした。それに冠婚葬祭もです。そしてそれによって援助し合うことです。2つ目は独自の8年間の学校教育と農業と手工業、そのあとかなりの自由な時間が個人に与えられ、意思決定によって洗礼を受けるかどうか選ぶことです。

1つ目のことを考えても、自分は匿名でブログを書いておりますし、ある方に言わせれば「露出的と思うよって」、言われてしまう。しかし、信仰者である彼らは、死生観、老い、自然への在り方、徹底して強いものがあり、生で表現しています。確固としたものがありますね。自分は本当に自然の摂理が理解できていないし、心が揺れています。浅い合理化や理論を求めてしまいがちです。

第3章以降を読ませていただいて、自分がおばあさんとして何故元気が出ない日常にしてしまっているか一層はっきり解かったことです。256ぺージ以後と、あとがきまで感動と頷くことばかりでした。

一体、私はどの様に外部と繋がって、具体的に終末期をどう送ればいいのだろうか、と自問しています。一人暮らしの小さい一個人として何ができるんだろうか。すればいいのだろう。

アーミシュのように自分には苦手な謙遜を持って、明るくそれに「わきまえ」を持つことなのかもしれません。身の丈に合った生きがいを探して、感謝を抱いていきたいものです。