思い  その20

暑い夏、避暑地などに縁のない年寄りは読書で気分転換です。それにつけてもロシアのウクライナ侵攻をニュースで見てロシアの情勢を知りたいと思いながら、今まで読んだ数少ないロシア文学と、どう現状を繋げてよいか見当がつかなかったのです。

昨年出版された増補版『亜鉛の少年たち』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著、奈倉有里訳 岩波書店 )を読んでみましたが、50ぺージ程でいったんギブアップしてしまったのです。

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登場人物のよって立つ場所の違い、生き方の心情、建前の異なり、うちにある悲惨、残酷、無残。 4,5日間どうしたら読み通せるか解らず据え置きしていました。このままでは図書館への返却日がきて生嚙りになってしまう。これでは自分の悪い癖になってしまうと考え、それでこの翻訳をした方の本を探したわけです。

そこで2021年に出た『夕暮れに夜明けの歌を-文学を探しにロシアに行く』(奈倉有里著、イースト・プレス)を読んだのです。

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今度は訳者がどの様な学びをしてどのような青春時代があったか人柄のアウトラインが私にも真摯なほのぼのとした文章を通して分かったのです。日本で初めてモスクワ文学大学を卒業なさった方だとも知りました。

東側の人情、政治、体制を何年かの留学と人的交流で深く理解しておられたのです。40代になられたばかりなのにあの膨大な著書を訳す熱意に対して自分はなんとあやふやな構えであったかと感じられました。その後に読む『亜鉛の少年たち』に出てくる社会主義体制の中で暮らす人々の捉え方が少し変わりました。

読み続けていくうちに戦死者の国際友好戦士の母等がアレクシェービッチを提訴しベラルーシミンスク中央裁判所で審理されるところまで読んでまた立ち止まってしまいました。まだ先は100ページほどあります。頑張って審理の記録を読んでいるうちに異なった考慮すべき主題が立ち現われ、ドキュメンタリーを扱った小説の困難さを思い知らされたのです。事実にちかい物事であっても例え知らなければ前に勧めない事柄であってもです。真実に近い物事を苦心して伝えてくださるのを何とか一部分でも自分の胸に収めたいと思いました。

30年ほど前に故三浦みどり訳で出版されていて裁判の記録はなかったようですが今回裁判記録が読めたことで東側の体制について考えるチャンスになりました。

現在の日本では想像が難しい体制の国々の文化や異なりを少しだけ考えてみました。少なからず影響を受けて生活があるのに進攻が長引くに連れ実感が薄れるのが怖いです。