思い 21

ASDなおばあさんは自分のポジションを生かそうと未だ学び中です。自分が辿ってきた幼稚で単純で失敗の多い一人よがりに過ごした時間を振り返っています。何しろ発達障害と幾十年も共にいるのですから、それを整理しています。

この一人ひとり異なった出方のある偏りのある一人であることは、幼い頃から失態の度にそれとなくは感じてはおりました。時には異なりによって生かされて来たこともあります。またある部分では苦しみ迷い、コントロールが効かず、はた迷惑であったことです。この頃漸くメンタルヘルスや死について雑誌などでも話題にされるようになりましたが、こうした話題はできなかったし、今も話しにくいです。

中央公論 23,5月号の櫛原克哉氏の『繁茂するメンタルクリニック』にあるように診断によって救われない方も大勢いることをとても残念に思います。診断によって失望し再出発できず自死に至るケースもいくつかあるようで、告知は難しいことです。診断に合った援助が周囲に望めない現状があります。個人が一人の人格を持った一人の存在であるとゆう肯定感が持ちにくいです。

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自分も有用になりたいですが、強引には社会化できないのを身をもって感じてます。周囲や制度は適応を求めているのですが合わせるのが下手です。言わずもがなの含みや、タブーを理性的に処理するのが弱いです。

自分も含めてなんですけど当事者が穏やかに生きていくにはそれぞれの工夫が必要です。若い方の場合IQが高いと理解されず苦しむことが起こったりするようです。