老いについてその3

自分が年寄りであることに対しての引け目を感じてしまうのはなぜか考えていました。夫と共にいたときは同じような時間を生きていて強いて説明もなしの自分でいられたのです。夫だけでも少しは自然体でいてもわかってもらえるような気分でした。

これが一人になってみてその部分がなくなり、何を失くしたか分かったことです。ネガティブな気分が心と体にすぐに響くのが感じられます。周囲のせいにしたくはないので1年半ほどあれこれ少し激しく社会学や歴史、ケアに関する本を読んでおりました。                          

人はみな当然のように自分の時間を誕生から死まで必然的に持っています。そして人生の始めと終わりの当然の弱者の部分があります。ここが今の時代意識として全うにされてない感じがします。確かに盛んに仕事のできる時期は大事ですが、何か働けない・役に立たないことに対する考え方がこのところ否定的になっている気配を感じます。    

そして、何かできそうでも、もう仕事として使い物にならない自分がここにいます。壮年期には感じられなかった動物としての弱みを心身に感じます。自分でも工夫やごまかしをしながら凌いでいます。やはりなってみないと理解しえないものの多さに驚きながら生活しています。

今日は歯科に出かけます。2年がかりで入れ歯をつくってもらっているので口を長く開けている日になりそうです。やっとこの所作をやってます。自分を観察して驚いたり、笑いの対象にしたりしています。老人とはこんなものなのでしょう。