思い 34

めったに映画館に行かないのですが、10日ほど前話題になっている映画『オッペンハイマー』を観に行ってきました。

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核物質が産まれた時代を通って生きてきた者としてはもう一度彼のことを確認し直したかったからです。

視覚的な刺激に敏感で映像が強く残りやすい方なので、観たすぐあと感想をまとめる心持ちになれずにいました。ことに内容が膨大で重大なテーマであったこの映画を検討整理記憶するのに時が必要でした。

描かれた時代は第2次世界大戦を挟んだ時期、東西冷戦の激動の時期でした。彼が科学者として、どの様な立場であったか、そしてどのような苦悩を抱いたかを以前より、より知ることができました。

また、彼が「赤狩り」の渦中で裁かれ時の尋問でのやり取りをみてアメリカの司法対して興味を引かれました。政治や司法が彼の運命を大きく作用したことが分かりました。

特に後半の部分は私には映画だけで確かめられず、詳しく基になった原作である、ピューリッツア賞受賞作『オッペンハイマー』(ハヤカワ文庫)を読んでみたいと思っています。

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思い 33

以前に親しくなってお茶をする会でのことなのですが、まあ話してもいいかしらと思って、自分も家族も偏りが強くて困ってると話しをしたのです。そうしたら次回から、どうも空気が違ってしまったのです。あまり話しかけてこない、相手にしないって感じですね。まあ自己開示は非常に難しいですね。私の方がかなり場に合わなかった訳です。うまくいかないので足は遠のいてしまいました。
でもその中でお2人だけ個人的にあちらから交流してくる方がおられますので、無理なく交流していきたいと願っています。それと電車で行く読書会がいつまで続けられるかです。


あと今までのお付き合いと介護してもらう側として相手とのすり合わせをどの様に穏やかにするかが課題です。そんな時読んでおこうとしたのが下記の本です。
発達障害者は(擬態)する。抑圧と生存戦略のカモフラージュ 横道 誠著 明石書店を読んでみました。自分の資質が浮かびます。 

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昔20代に読みこんだホルネイの「自己分析」を思い出しました。今までになく直接に私を映す鏡が随所にあり参ってしまいました。

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明確かつ具体的にASDADHD、算数LDなのだと自覚しました。算数が苦手なこと、固有名詞などの記憶が悪いこと、左右が不明瞭になること、肌着や着心地に拘ることなどです。興味が湧くと凝り拘ることもありますし、それに3章の向坂くじらさんのように、

たくさんの人によって構築されている関係に興味が湧かなくて。嫌いでないわけでもないけど、うまく認知できないというか。飲み会なんかでも、二、三人の気に入った人と話すほうが情報の密度が高いし心地よいと感じます。興味がない人と話すのは時間の浪費と感じられてしまいます。(p.62)

というのは、このようなところところ自分にもあります。
152ページ(8章)は慰めとなり、ほっとしました。 
今回この本の中の3章に出てくるくじらさんの他に、3人のかたにも自分が似ている部分があるようです。                     
それと自分の場合は両親の生活がかなり偏りが激しく社会化の手本や大人の見本にはならなかったことや、保護されていなかったことなどありうることとして、遠のいてみえました。
本については高校生の時は聖書を、20代で精神分析学に興味を持った訳です。中学生から始まった読書は途中、絵画に凝った時期以外続いてきて本から離れることはできません。かなり彷徨ってますが不思議にその時に自分に合った本を読むことが出来てよかったと感じています。
結婚後30代では言葉の出ない次女の療育をするために医学書を漁ったりしましたし、相談にも行きました。飛び飛びでしたが50代ごろからは心理学の症例を読んだり、家族療法のワークショップにいったり自分なりですがしました。とにかく親の役割を果たすことに熱中していました。役割にとらわれて本来の自分の影が薄かった感じです。 
あと困ったことですが、欲も徳なく自分の価値観に従いたくなることがあるのですが、自分でセーブしていますね。孫2人ともに手を貸したいとろですが離れています。
今回読んでみて身にこたえる内容でした。しかし良い出会いでした。よくぞ開示して下さったという思いと努力と工夫に感じ入り、こうした能力のある若い世代にエールを送りたいです。

思い 32

最近のパレスチナ問題がこんな年寄りでも気になっています。ユダヤ人の文学は前から少しは読んでいたのですがパレスチナ系の人に関するものを全く読んでいないことに思い至り、エドワード・サイードの2009年に出た追悼集『エドワード・サイード 対話は続く』(みすず書房)の分かりやすい部分、ノーム・チョムスキーとダニエル・バレンボエムのところを読んでみました。それによってサイードの深遠な思想や音楽性を垣間見る思いがしました。

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彼はパレスチナ問題が持つ歴史的に複雑に絡み合う構造的な問題に対して発言していましたが、アメリカ人としてもパレスナ人としても本来的な理解が得られなかったようです。彼の亡命、政治、行動を基にした映画も幾つか創られました。ぜひ鑑てみたいです。                                               そして娘さんナジラ・サイードが作家活動家として課題を引きついでいることを知りました。

これからオリエントの歴史を少しずつ知ろうと思っております。

思い 31

年寄りになって自由な時間を持てるようになって自分の在り方が以前より観えて来ています。

実生活で得た知識や学んだ事柄の偏りが解って、うろたえております。それはある意味では荒い網で知識を掬い取って習得していたようなものだったなって感じです。

行動や性格もそうなのです。まあこの歳では振り返ってみても仕方ないかって思ったりして浅はかさを緩く許して楽ちんしながら学び直ししいています。

例えば高校数学を全く習熟していないので心の働きや生命に関係するサイバネティックスの考え方を解ろうとしても非常に浅くしか理解できないことなどです。こんなことで何事も中途半端、何事もアバウト、最近は気力も続かなくてボーッとしていたりしています。

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物忘れ、行動飛ばしの今年85歳のばーさんです。

思い 30

ソ連崩壊前後のエストニアを舞台にした物語『ラウリ・クースクを探して』(宮内悠介著 朝日新聞出版)を読んでみました。時代的にはラウリ誕生の1977年から46歳、現在までになっています。国境をまたいだ激動期に翻弄された若い世代の心情が伝わってきました。

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コンピューター歴史の一部分、そしてゲームソフトから発展した膨大なソフトの数々の実用化の様相など国際的な小説でした。年寄りでコンピューターの知識は全くといていいほどない私ですが、引き込まれてもしまいました。

東側の人々を日本人である著者が描き切っていて、広い見識に驚きました。直木賞にノミネートされたそうですね。

思い 29

いま、パンデミック現象やロシアによるウクライナ侵攻、そしてイスラエルで起こっている事柄からの影響を感じないではいられないです。私自身、世界史を学び直さなければと思ったり、いったい今の時点で何を思考能力として持てばよいのか迷っておりました。そして第二次世界大戦の勃発とその後を知りたいと思いました。

第二次世界大戦大戦がナチスソ連ポーランド侵攻によって始められましたが、今日のウクライナ侵攻を思われます。その時期のヨーロッパを知るのにアンジェイ・ワイダ監督の映画がぴったりだったようなのです。でも私は上映時期にはとても余裕のない生活で観ることが叶わなかったのです。

それで昨年出された『カテインの森のヤニナー独ソ戦の闇に消えた女性飛行士』(小林文乃著 河出書房新社)を読んでみました。

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これによって大戦中と東西に引き裂かれた大戦後のヨーロッパの様子が少し見えてきました。ヒトラースターリンによって犠牲になったユダヤ人とポーランド人の数を知り、ポーランド人の多さに驚いたのです。それで自分はポーランドが置かれている地理的条件、国柄を解っていなかったことにきづきました。ロシアつまり東側のありかたについても大戦後、どの程度の変化があったのか考えさせられました。

小林文乃氏の現地でのインタビューに続く解説は東側を知る日本人女性でなければ表せない部分もあって引き込まれました。自分はヨーロッパ大陸での戦火に塗れ、東西の思想に引き裂かれ圧迫されている国で生きなければならなかった人々、それにまだまだその渦中にある人々を思い知ることは難しいと思いました。ヨーロッパ大陸における入り込んだ民族感情を理解するのは日本人である自分には、果たせないことです。

この著作を読むことでロシアを見直すのに優しく道びいてもらった気がします。ヤニナのような女性が実在していたことを知り得たことも大きな学びでした。

思い 28

知り合いのご家族で発達に偏りがあり、悩み苦しんでいて、話しにこられるかたが何人かおられるのです。私自身も同じようにその渦中にあり、どうしようのなさの真っただ中です。知り合いの方も、私も、私の娘もみな少しずつ大切にしてるものが異なります。そして気づきに対する時間もまたさまざまで、条件も違っています。この生きにくさを語り合えるのを最近、再度ありがたいなって感じるのです。
すぐに糸口が見えなくとも、解決の見えない時間が少し楽になったり間が持てたりします。以前は解決策を見つけなければと焦ってしまいがちでした。しかし起こっている厳しい現実的で複雑な事柄に向き合ってみて、やっとこのような思いがやってきたのです。どうしようもなさをこえて優しさは生まれるんだなって感じです。
参考になりそうなので、『新版 ひきこもりのライフプラン -「親亡き後」をどうするか』(斎藤環畠中雅子著 岩波ブックレット No.1023)を読み終えたところです。

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ことに当事者にたいする「理解と対応」の部分は心すべき事柄であり、胸打つ内容でした。具体的に当事者とする会話のありか方が示されていて、私も気を付けて実行したいと思っております。どうしても上からの目線で、先読みの態度になってしまいがちです。

ライフプランの部分はそれぞれの立場で決定されるでしょうが、大まかな意味では安心感を貰えられるもので感心いたしました。制度などの学びによって腹をくくっていく方法が確かで安全なのですが、なかなかそこへ行きつくのが困難なことです。親のその都度の学びと相談に繋がるエネルギーを出すのがつらい・できない、手を出せない方もおられます。個々の思いがあります。
私たち家族もまとめ役であろう自分の時間が少なくなっているのに弱気です。