思い 64

まだ「羊の歌」に執着しています。2011に出版された「羊の歌」余分加藤周一著 鷲巣力編を借りてしまいました。

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戦時中も医局でフランス文学をしかも原文で読んでいたことには驚きました。あの時分私はやっと物心が付いた頃でした。父は中学生を引率して学徒動員に出かけており、兄も姉も年うえだったので動員されていました。残された母と幼い私は日中は畑にいたことを思い出しました。奔放にふるまって自由にしていたい母でさえもあの時代はみょうにひっそりと暮らしていたのを思いだしました。
窮屈な空気と食べ物が不足していたこと、外に向かっては緊張感がただよい、家の中からは品物が消えて、食べ物に変えられていっていたのを覚えています。蓄えは統制に遭い、酷いインフレでした。あの戦時中の常に監視されているような雰囲気は子供心にも残り、本など読めない、大いなる不自由さを説明しようもありなせん。そして身近な人を失ってしまった方の悲劇は埋め合わせることはできません。 
同じ様に戦中、戦後を経ていても加藤周一のような緻密な時間の送り方をしている方もいらしたことを今更のように感じております。独学に近い感じでフランス語の本を読んでしまうなどということは思いもよりません。それに周囲にも少人数で共鳴し合える方、矢内原忠雄渡辺一夫、マチネ・ポエテックの仲間等との出会い、凄いです。
戦後はフランス留学、ヨーロッパ諸国で執筆され、海外の大学から請われ教育研究活動生活を送られました。カナダ、西ドイツ、アメリカ、ドイツ、スイス、イタリア、イギリス、メキシコ、中国、香港、の国々です。ウィーン育ちのご婦人との生活からは西洋文明の真髄が伝わったように想像しております。上智大学で講じられていたこともあったようです。
ここで知ったことですが、カナダやアメリカのの大学にかなり重要な日本の古典文献が研究者によって収蔵されてあったことです。海外での長い生活と学術研究を経て日本を見つめていらしたようです。また一貫しての心情はやむなく、「九条の会」を組織されることにもなられたようです。海外経験のない自分等は多くからは書籍から学ぶことで想像逞しくして生活するしかありませんでした。

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自分は親を超えようとして最終的に求めようとしたものはヨーロッパ的なものだったようです。それにしても全く稚拙に己の生きる糧を求めていただけのようです。パンと同時に心的なものを如何に思考するかです。