この正月二日よりわたしは夜になると37,8位の熱が続きましたが、感染症の検査も2回して陰性でした。甲状腺が腫れ飲み込みが苦痛でした。ふら付きもあり検査でメニエール病、軽い弁膜症があることが解りました。
11日から立ち直って23日現在は杖を頼りに散歩できるようになりました。原因が判明するまで閉じこもり、以前読んだ加藤周一の自伝風小説を読み直しました。巨人の著書との格闘でした。気まぐれに「羊の歌 ーわが回想ー」、「続羊の歌 ーわが回想ー」「ある晴れた日に」の順に読んだのですが、内容から言ったら「ある晴れた日に」は中間に入れたほうが流れがよかったように思います。
確かに色々論じられているようですが、当時はモデルと思われる方が生存していた方もあり描けば差しさわりがあり、余りにはばかられることは書かなかったと思われます。それにどうしても書きたくないことだってあったはずです。海老坂武著「加藤周一 ―二十世紀を問う」岩波新書1421を嘗て読んで批判的な部分もあり、落ち着かない心持ちになったのを思い出しました。
医学者としての観察眼を持ち、その上での文学研究者として広い視野で書かれたものに、私は興味と魅力を感じます。
恵まれた上流社会の中で生まれ、育った人だった思えるのです。学閥を超えて偏狭なまでに実力ある医術者として生きようとした父、母のカトリック教徒である柔らかく、強い芯のある生活者、機転の利く賢い妹に囲まれていたようです。それに母方の祖父のイタリア生活を経ての奔放な生き方はヨーロッパ文化への憧れと窓口になったように感じます。こうした家族のもてる人力を基にして培われた独自な力を感じます。アメリカ軍占領期の生活、ヨーロッパでの生活、激動期をご自分の知力の糧として過ごされていたことをあらためて想像しています。
物語の中に深い関係をもった2人女性がいらしたよう思うのですが彼女達の感性に鋭く対峙し、その関係性の中で高みに向かって変化していく様はには脅威を感じました。
オーストリア人であった2人目の婦人との成り行きを想像しても女性である自分としては鋭く大きな存在で近ずきがたいです。途方もなく文芸全般を深く多彩に見聞きすることを継続していたようです。続「羊の歌」の次の物語を読みたいです。このような思いは、私の加藤周一への推しだとも言えるかもしれません。
東西の古典文学、日本の古今のアートを論じ、著名人に囲まれ交流があり、ヨーロッパ諸国のアートを堪能し、その幅の大きさに驚嘆するのみです。根底にある追及の仕方は生涯において知の巨人をこしらえたのだと解かりました。ある時期日本の大学でも講座を持たれておられたようですが学生は厳しくて、付いていくのに悲鳴を上げていたと伺っています。
私は老いて「日本文学史序説」上下等を読みこむのさえ無理を感じます。こうした著作が段々と読めなくなってきていることは寂しいことです。