老いたせいでしょうか、過ぎ越してきたことを反省したり、思ったりすることが日々あります。成人した頃から65年程の時間に変化した様々な思想の流れの中で生きてきた自分をながめています。
流れの中に流されていたのにその流れの様相を確かめる能力も余裕ものないままでした。能力と判断力が少ないのが主でしょう。今一人住まいの個人となってみて少しずつ自分が生きた戦後史の一部分を知ろうとしております。
それ程多くはありませんが、深くそして緻密に生きている人々の著書の中や日常の出会に遭遇する人々とに大いに感激してしまうのです。自分が果たせない多くの意味を持った表現や自己開示や生き方そのものにです。
自分もかってほんの短い間でしたが、美術と心理療法に心惹かれ学んだことがあるので、拘って複雑なメッセージや感覚を込める作者に、ここまで表現してしまえることに驚くのです。
今年の展覧会で観たエゴン・シーレ展や諏訪敦展、それから2021年に出た往復書簡『限界から始まる』(上野千鶴子・鈴木涼美著 幻冬舎)と2022年に出た『性と芸術』(会田誠 幻冬舎)の著書等にです。私が観て、読んだ位ですから多くの方が目にされたと思うのです。
特に2冊の本は方向性が異なるのですが、確かに今を生きる一人の表現者にあるリアルな事柄だと思えたのです。多様性を持つ一つの在り方として凄いと考えたのです。しかし片方で本来持つ個人の感覚や感性を追求することを大切にすることの範囲や意味を確かめている自分がいます。
歳を重ね衰えていても一個人として在る事、変化の流れの中に在り続けて流れの勢いに揉まれているのを、間接的にですが感じております。