思い その7

ここのところ、自分が書いているこんな文章に疑問を感じ、やめてしまっておりました。そんなことを近所に住む子供に話したら呟きでいいんじゃないなんてあっさり言われてしまいました。

私としては自分の失敗や工夫を同時代のかたに愚かさも含めて開示したいと思っているわけです。あと、年寄りとしての生活していく上での望みもです。ことにこれから多くの年寄りが一人暮らしになるわけですから。

子供にしたら自己主張の在り方によっては確かに迷惑なものもあります。通じ合いにくいこともあります。例えば離れた子供のところから贈られる母の日の鉢植えは嬉しい反面、好みが合わなかったり、育てにくかったりして…。

本当に共感とか、相手の生き方を想像する力を育てたりそれを行動にするのは家族でも難しいです。

私は自分の住まいを事情があって離れ、とても自由な、しかしサービスの少ないサ高住で三年目を迎えようとしています。でも心持ちとして自分を安心して守っていてくれる場とは感じられないでいます。

言いたいことは自分の築いた城から出ることに慎重であってほしいことです。場は色んな意味でとても大切です。住まいは私にとっては蓑であり、衣であり歴史であったとゆうことでしょうか。しかし慣れ親しんだところでは意識できなかった自分の姿をみることもありました。慣れに埋没しないで、老いとゆう変化に自分を合わせていくことは甚だ困難な感じもします。困難や欠乏が学びや工夫を連れて来てくれる気もします。