育児への疑問について

出会った人々に質問されたことに、二人の娘たちに高学歴を修めさせるためにした療育や育児はどんなだったか、というのがあります。私の場合、只ただ足元をみて自分なりに工夫してやってきただけです。

 

前にも書きましたが自分が若かった時期、社会のルールや仕組みと自分の内面とを折り合う力がなかったのです。内面的には自己を女性としての枠や嗜みに合わせられませんでした。10代は文学書や聖書を20代後半は臨床心理の症例やドキュメントを読んでいました。周囲に求めても求め得られないものを無意識に求めさまよっていました。

 

そんなでしたので娘たちが独り立ちできる力をつけてほしいと強く願った訳です。自分の中にある偏りや失敗した経験から、同じようなことが起こるのを防ごうとしていました。言ってみれば、定型発達でなっかたがためにかえって理解しよう、何とかしようと強く思いました。

 

ですから子どもの出来ること、出来ないことを見極めようとしていました。優れているところによって誤魔化されない、誤魔化さないを意識しようとしていました。つまり、過大にも過小にも評価しないということです。それはいつも心がけていました。

 

そして、子どもたちは予想外のそれぞれ独自の発達を遂げました。上の子は楽譜から記号的な考えや数的な情報処理を、4歳まで全く会話のなかった次女は活字から言葉を獲得しました。

 

発達はまったく一進一退で先を想像できず苦しみました。二人共義務教育の期間中友達関係に悩みました。ことに小学校時代はいじめがひどかったようです。木村敏の著書にあるような自然に、かつ自ずから生きる力を獲得できない、私自身のルーツや、親族の生活ぶりを思い浮かべても明るくなれない。正直落ち込みました。

 

夫は仕事と趣味に興味を示していて、特に口出しをするわけでもなく、こちらが強く望んだり困ったら協力してくれました。彼自身理解できずに迷っていたのかもしれません。私なりにですが情報を集めより適切な方法を模索するしかありませんでした。次女が小学5年生まで自分がカウンセリングをうけ指導していただきました。

 

そして、言ってみれば自分の小さい立場でも意味ある事、役立つことをするという一種嗜癖に陥ったような生活をしたのです。これは家族にとって窮屈なものでした。子供たちは仕事ができるほうには向かいましたが多くの弊害があったと感じております。

 

成人後長女は分子生物学と薬理学を、次女は心理学を専攻し現在はそれで生計を立てております。しかし今になってはもっと生活を楽しめていたらよかったと思います。それは私の性格によるところが大きいです。