思い 35

私には二人の孫がおります。上の孫が自分の専門をやっと定めたようです。案の定、脳神経学の研究らしいです。親つまり娘も遺伝子の転写の研究をしている時期があったので、とことんまた同じような道を行くのかなって感じました。孫もどうしても自分たち家族の能力の偏りが何によって起こっているか探りたいのでしょう。

ただ孫はいま研究者の立ち位置が不安定だということをはっきり知っていて悩んでいても選んでいるようです。

彼女も幼少期から栗田広先生に指導を受けており、ある程度自分の生きづらさが体調にも表れ苦しんだ時期もあったのです。私としては家族に納得がいくようにやってくださいと望むしかありません。人は置かれた場所、時と経験をどのようにうけとるかで生き方が決まるでしょう。

私は全くの応援団であったように思っているのですが娘などはかなり阻害をうけたと感じているようです。今は離れてみて少しは個人としてお互いを感じられるようになりつつありますが、まだまだです。

こんな思いを抱いていて、最近フランスにおける学校教育制度や福祉制度の本を読んでみました。それによって基になっている厳しい理念の異なりに圧倒され、自分の曖昧さがみえて落ち込みを感じました。

www.kamogawa.co.jp

3歳からの義務教育、様々な無償のひろいケア、凄いですね。税金も重いのでしょうが、社会人としてのありかた、福祉や教育に関する底力、日本との国家の違い、なんと大きいのでしょう。そのうえで自己責任の在り方は異なり明確で、考えを深めるまえに立ち止まってしまいました。

ニュース等見る限りではフランスも極右政党が台頭してきていて流動的なようですが急な変化はないにしろ時代がどのようになっていくのでしょう。日本においても流れが個々人が保たれる方向であってほしいです。市井の片隅で何もできないでいるのですが、ケアの在り方に思考が揺らいでいます。