思い その12

考え方や本の選択は自分なりに、本質を探りたいと密かに切望してきた結果でした。そしてそれは確かに大きな偏りを持った物だったと感じております。私個人の小さい日常からの疑問や苦悩から止む無くチョイスしてきたものです。やっと親としての役割が終わったことですから、その様なことを臆面もなく書いてみるのもいいかなと思ったのです。

この偏りは以前から書いていることなのですが、自分もですが、自分の家族そして親族にも発達に問題があった人がかなりおり、人知れない苦心の日々を送ったからだと感じています。

それは50年程前に自分たち家族の次女の養育に端を発した苦しみから時間と共に判明し、私達夫婦の問題として現れ、主には私の課題になったわけです。しかし、主には夫の働きがあって初めて何とかこの難題を抱えながら生きてこれましたし、生きています。実に振り返って専業主婦でなければ達成できませんでした。療育に時間を取られる時期は殊にそうでした。義務教育になって少し時間に余裕ができても先が見えず、自分を確立するための相談や学び、経済的には内職をし、かなりストイックな生活をおくりました。

実母の介護をし、年子の娘達が大学で勉学に励んでいた頃は一時、相談や読書、学びから遠ざかったことがありました。修士を終えた子どもたちが就職すると同時に家を離れていきました。すると娘達の新しい職場での人間関係が気になりました。特に次女の方は人間が相手です。この時期私は空の巣症候群に罹りはげしく寂しい状態になりました。

何とかこのメランコリックな自分の寂しさに陥る様態から抜け出そうともがきました。下の子がかつてお世話になっていた日本キリスト教会の礼拝などにいってみました。でも自分にしっくりくることがなく思いは精神医学へ戻ってしまいました。

それと同時に、自然な交流の場を求めて文学を主にした読書会をその頃立ち上げました。でも結局運営をゆずってしまいました。その当時、25年前程自分にとって近い親族が当然持つであろう親近感が薄いことにも不満を感じやり切れない心持ちになっていたのです。Weという感覚、何か事が起こったとき、つまりは自分達の問題としての受け方がとても薄いのです。従って自分で多くを背負ってしまう-これがどのような心的絡み合いの中で起こるのか見極めたいと思っておりました。そして木村敏著『関係ととしての自己』(みすず書房)に出会いました(現在出ているのは新装版で、私が持っているのは旧版です)。

www.msz.co.jp

https://www.amazon.co.jp/%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E8%87%AA%E5%B7%B1-%E6%9C%A8%E6%9D%91-%E6%95%8F/dp/4622071444

論文は読みこなしが難しく、思考と疑問の連続です。ことに人称の問題、第2章の2、三人称性と一人称性、リアリティとアクチュアリティ(p.55-57)の箇所に釘づけになってしまいました。

その後同じく木村敏氏によって2012年に出された講演録『臨床哲学講義』(創元社)にも興味を持ちました。これは一般市民、学生向きと言われていますが、自分にとってじっくり読むべきものだと思っています。

ことに発達に問題があるとき、p.35-39「自己と自然、みずからとおのずから」p.50-52「共通感覚とその病理」等も、感覚器官の問題も含めこれからも議論されたらいいなと思っております。五感における問題は当然老後にも共通点として出現してくるように感じます。

www.sogensha.co.jp

次女は先に結婚し、その後長女は19年前結婚し娘、息子に恵まれたのですが、ことに息子の方が偏りが強いのですのです。つい最近、栗田 廣医師が亡くなられる前まで患者でした。お世話になったと感じております。

特に下の孫がいじめられていても、困ったことに本人の中ではその状況への意識が薄いのです。中井久夫著『いじめの政治学』等も参考に読むごとに、心乱れます。これからもこの中井久夫氏のいじめの考え方は、出番があるものと感じています。これを読み込み理解することと実行することがいかに困難でエネルギーと能力がいる事か深く考え込んでおります。

www.msz.co.jp

中井久夫氏の持っていらした知力、構想に読むたび感じ入り今は自分が持つ理解力はこれまでのことかと思うのです。力拙い経験や読書から少しの知識として入手しているものでこれから先自分がどこまでどの位納得できるものかは予想が立たずにおります。

大きな心で、時間の流れや世界を俯瞰して考慮する力や、解決し得ない問題の行方を遠くから観続ける力が欲しいです。