強く思うこと

これまで私は、生きにくい子どもを育てている家族を身近に幾人も見てきました。義務教育は知能指数で学級分けをしている部分があります。学校生活の中でさえも不安を抱えていたり、新しいプログラムになじめなかったりするのは見過ごされがちです。

 

家庭でしつけが困難を極めていてもなかなか学校には伝わりません。小学校では一人の教師が長い時間接してもらって少しずつ理解されることは多いようです。しかし、ことに小学校から中学生になっていくあたりから少しずつ発達面の差が表面化します。

 

生活する中で獲得してほしい能力においても平均的には身に着けられません。結果として熊代亨氏が書いているような「まともな人間の条件」からだんだん離れていきます。

 

大抵乳幼児期から育てるのが難しいと感じています。我が家の男の子の場合感覚が非常に過敏で、襟のあるコートは四歳ぐらいまで着ることができなかったのです。

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下着はだぶだぶの物を好み、ズボンは木綿のメリヤス編みを選んでおりました。ズボンは大きめを買いウエストの部分を切り取り、6~7センチぐらい布を足してゴムを入れていました。中学生の制服では最高に大きいサイズを買い、後ろのゴムを調節してなんとか合わせました。

 

本当に日常生活の特別な支援は難しいです。このまま行ったら危いなと思っているうちに学校に行かなくなったりしてしまいます。特別支援学級や特別支援学校へ、と保護者が希望しても知能が高い場合希望が通らないことがほとんどでしょう。

 

相談に行っていて、発達障害だと医師が診断を出していても、居場所を探し出すのは難しいです。こうした子どもを何人か身近にしていて何か楽になる手立てがあったらと思うばかりです。

 

このような発達の仕方の偏りは確かに理解しにくいです。この位の知能指数だったら当然理解できていると思われることが分かっていないことがよくあります。その子に合った導きでないと身につかない場合も多いです。これは机の上のことばかりではなく体を使うことにも表れているようです。

 

都会においてはことさらのようです。特に感情が育って行ってくれたらと思うばかりです。素人のおばあさんの呟きです。