遺書について そのⅠ

80歳になったとき遺書を作りました。遺書にはいろんな見方があり、批判もあると思いますが、自分が生きているはっきりした意識ある時期に意志を確かめてそれにある程度沿って生きようとしたからです。大まかな枠とでも言ったらいいでしょうか。

遺書に加えて尊厳死宣言書や任意後見人についても公正証書を作りました。第三者を入れて文書化すること、法的言語で感情を表現することのもどかしさを味わいました。たった二人の娘ですがとてもどこから見ても公平とはいきません。平等について思考し苦しみました。

わたしは「優先主義」に近い道を選んだと思っています。これは、「未来のある世代の予測される生活水準が悪ければ悪いほどその世代を助けるべき義務が強くなる」というものです。このような思想の世代間バージョンが法哲学にあることを後から知り、このような道を選んでホッとしています。

(参考文献:『法哲学はこんなに面白い』森村進著 信山社

下の娘には解ってもらえるよう話して了解を得ましたが、私個人としては感情的に落とし込めないところ、常識的には割り切れない部分が残されています。