読書について  その18

遠い方の読書会で、瀬戸内寂聴著『白道』を読みました。高校時代に戻った気持ちになって、『西行物語』の現代語訳、地図帳を開きながら読み進めました。

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私は国文学にあまり興味がなかったのですが、歴史の中の平安時代から鎌倉時代への転換期として読んでみました。文化的にも一大転換期であったことを改めて知ったことは収穫でした。
白川法皇祇園の女御、そして待賢門院璋子との関係に驚き、その後始末に驚愕してしまいました。この時代の権威の在り方がどの様なものであったか想像してみました。それに続く璋子の在り方、華々しい度々の熊野詣。璋子は輿に揺られて何を思ったのでしょう。このような璋子に西行は深く憧憬、恋慕したのでしょうか。今の私には理解できないのです。しかし思いを寄せた、『白道』はそのようにも取れる描き方です。
佐藤義清(西行)は地位、才能に恵まれた北面の武士でしたが23歳で妻子を捨て出家しました。理由は明らかではないようです。2年後に璋子も出家したようです。
上流階級でのコミュニケーションは短歌がものを言ったようで、今よりもずっと心情を語るものととしても短歌が重んじられていました。それで西行は短歌の名手して諸国を巡ることができていたように感じました。
初期は京都周辺に草庵を作り、東北平泉には前半と後半の2回、そして熊野を巡り、四国には長く草庵に暮らし九州まで足を伸ばしたようです。西行が詠んだと判明している短歌は2300首あまり残っており、各地の上流階級に教養として歌詠みが提示されていった気がしました。
またこの時代より文化的に優れた名手を基に家元制が生まれたようです。そして何かの道を究めた人を敬うこと、また公家である方々への日本人の感情、平民や末端にある貧民からは公家たちは様々な格差によって雲の上状態であったという心持ちを植え付けられていたように思えます。