「安心感のケア」とはなんだろう その2

誰でも、自分が弱い立場、助けてもらわなければならない立場になったとき、自分にマッチした援助が欲しいものです。最近、足腰が弱ってきて、横になった状態から何かに掴まらないと立ち上がれないのです。ベットからの起き上がりは楽なのですが、浅い浴槽で広い場合とても不安を感じます。怖いです。何か工夫しなければと感じております。このように強く感じたのは初めてです。

こんな風になってみて自分が子育てや介護で相手に寄り添えなくて、随分無理強いしてきたこともあったと思い返しています。そのためもあって此のところケアに関する本を立て続けに読んでおります。今後ケアをすることは少ないとしても、されることに慣れなくてはと思っているからです。

ことに私にとって印象に残った文庫本が二冊あります。

一冊目は渡辺一史著『こんな夜更けにバナナかよ』(文春文庫)です。

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副題、筋ジス、鹿野靖明とボランテイアたちです。最後まで生命力にあふれ粘り強く、周囲を変化させていく過程はどんでん返しです。簡単に諦めないあの明るさはどこから来るのでしょうか。やはり幼い日々の養育の賜物でしょうか。周囲の方々の柔らかく関わろうとする勇気はすごいです。

二冊目は鷲田清一著『<弱さ>のちから ホスピタブルな光景』(講談社学術文庫)です。

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わたくしは烏滸がましいことなのですが、鷲田清一氏の陰に密やかにいるファンの一人です。2013年に出された「ひとの現象学」等は事あるごとに繰り返しひも解いております。

今回の「弱さのちから」は初刊が2001年で2014年に文庫化されました。

しかし、これまでにない驚きの本でした。あくまでも私にとってはです。その中で、

ーこれはケアについての聞き書きである。べつにケアを職業としていなくともいい。結果としてある深いケアがなりたっているような光景を光景として見とどけられればそれでいい。(p.17)

とあります。13人の人々への旅先でのインタビューとして書かれています。

この人選の幅の広さ、内容の実直さに驚いてしまったのです。なんと自分は常識とか言われる枠にはまっていたんだろう。生き方、在り様、大切にしてる思い全く異なっています。じっと向き合える度量がなかったです。少し思考の幅がひろがった思いです。鷲田清一臨床哲学の広さ深さに大いに刺激され、人それぞれのケアにあるべき形の「異なり」を考えさせられています。